フリーランスデザイナーから外資に転職

35歳、新人として再スタートしました。

退職届を持ち歩く日々

いや、まだ書いてないけどこれから退職届を書きます。私の先輩に当たる方が、なんと今月末で辞めると。

 

入社3ヶ月に満たないまま、今のセクションで2番目の古株になるわけです。

おいおい、教育に力を入れてプロフェッショナルを育てているのが御社の売りと伺ったけど。こんなんでプロフェッショナルとか笑わせるんじゃねぇ。頑張ったけど、プロフェッショナルではない。お客様に迷惑だろ!こんなプロフェッショナル。

 

胃が痛くなったら辞めようと思ったけど、すでに胃が痛い。忙しいのが問題なのではない。仕事内容が問題なわけでもない。上司の声を聞くだけで胃と心臓に激痛が走るのだ。

お客様の対応より、私への報告が先と言ってくる上司、どうにかしてくれ。頼む、結婚して幸せになってくれ。毎日祈るから。そんだけ自分がパーフェクトヒューマンなら、すぐにできるよ!結婚!温かい家庭を築いて、一生職場に現れないでくれ。会社のためだ。これ以上離職者を作らないためだ。

メールを英字フォントと日本語フォントの合成で送れとか言ってくるの辞めろ。

なんでここにそんな時間掛けさせるんだ!コピー機まで100メートルくらいあるあの距離、私は短距離走者じゃねえ。新人の前で新人の私を叱りつけてドヤ顔してんじゃねえ。頼む、その新人にはそんな思いをさせないで!新人ビビらせないで!また辞めちゃうよ。人手不足はお前の責任だぞ!関係者も他の職員も、お前の顔色伺って毎日報告偽装してるぞ!頼む、辞めてくれ。組織を壊さないでくれ。

 

という事で、これから退職届をお守りとして持ち歩きます。いつでも辞めます。次に心臓が凍てつき、胃に激痛が走ったら、退職届を提出します。魂の叫びでした。

 

女上司は女にきつい

今の会社を含め、会社には4社属した。4社中、3社は女上司であった。

1社目の上司は、公私混同型で、仕事もプライベートも関係なく働く上、終電で帰って家にも仕事を持ち帰って働くタイプだった。そして、それを強制するのが当たり前と言う考え方の持ち主だった。

「この業界は終電で帰るのは当たり前だから」

社長夫人でもある彼女の言葉を今でも忘れない。社長もまた、いつも終電帰りだ。というか、彼らは車で来ているので終電とか関係ない。その代わり、毎朝定時に出社したことはなく、ホワイトボードには客先へ直行してから午後出社するという風に毎日書かれていた。誰もそれを信用していなかったが、何か言えば社長と社長夫人から罵倒されるために誰も注意する事はない。当然離職率は高く、古株が数人残り、使い捨てのように新人が入っては辞めていく。

この会社を辞める決定的な言葉はこれだった。

「正月休みあげたよね?なんで家でやってこなかったの?このタクシー代の請求は認められないから」

私には休む権利すらなく、深夜10,000円近いタクシー代を払い続けるのかと思うと悲しくなった。それでもタクシー代はだいぶ払ってきたが、3年間耐えて辞めた。彼女は年中体調不良で休んでいたけど、この会社には会社の規則なんてものは無いので、彼女がどれだけ休んでも罰せられる事は無かった。

 

2社目の女上司は、転職回数が私以上に多く、感情の起伏が激しいタイプだった。右に動くと「動かないでください」と言い、動かないと「何やっているんですか、動いてください」と言い、とにかく混乱させて新人を1回泣かすことが通例だったようだ。私も詰められて大泣きした。なぜそこまで他人に厳しくするのかよく分からない。傷つけて、誰が得するんだろうか。

最終的には彼女は私に対して何かを諦めたらしく、「あなたはこの仕事無理だわ。別の仕事しなさい」と、別の仕事をする事になった。そこで制作関連の仕事を担当する事になり、フリーランスになる事に繋がった。結局彼女も1年程度で会社を辞め、訳のわからないFacebook商法みたいなのにお金を払ったらしく、たいした記事でもないけど1,000件近いイイネを取得するようになり、Facebookの女王となっている。それで彼女が思い描く自分になれたのか甚だ疑問だ。その上司もまた、自分と他人に厳しく体をよく壊すタイプだった。

 

そして今、新しい上司もまた自律神経失調症を患い、半年程会社を休んでから復帰した。相変わらず体は弱いらしい。しかし、その上の上司に上手くコントロールされ、彼女もそれに応えて上に上がろうと必死である。感情のコントロールができないらしく、言い方がとにかくキツいがおそらく本人に自覚が無い。彼女が来てから古株社員が一層されてしまい、結果として彼女も倍以上に働く事になり、自分が一番辛そうである。

 

女性が働き、役職を上げる為には、みんな感情をコントロールできなくなって体を壊すしかないのだろうか。私がたまたまそういう上司に当たりやすい星のもと生まれてしまったのだろうか。

とにかく……会社に行きたくない。また明日も詰められる。何をやっても詰められるのだ。

 

古株が一層された職場

私が務め始めた外資系企業には、たくさんの女性達が働いている。みんな役職を持ち、まさに男女関係なく、力があれば上に上がれる外資系企業です!って感じだ。

私の上司も漏れなくバリバリです!って感じで、「仕事が好きなんです。とにかく昇格したいんです」と言っていた。部下にも厳しい。その厳しさ故、彼女がこの物件に越して来てから今まで長年働いて来た古株の方々が全て辞めてしまい、今回私がそこに就職する事ができた。

入社から1ヶ月が経ったために一人で業務をする必要がある。一人の時間が増える事により、会社の他の方々、下請けの方々が私にゴシップを聞かせてくれる機会も増えた。

「前にいた子、すごく仕事もできるし元CAで接客も上手だったし、長く働いていたんだけどね。あの方(上司)が来てから、ものすごいパワハラに遭って、重箱の隅を突つかれるようなひどい物言いを毎日されて、結局あの方が来てから1ヶ月で辞めちゃったんだよ。それを横で見ていたもう2人の女性も辞めてしまってさ。自分にそれが回ってくると思うと怖かったんだろうね」

うーん。恐ろしい。確かに恐ろしい人だけど、何がそんなに彼女を怒らせたのか良く分からない。というか、私が今その目に遭っているのか……?

「それ、前にも言いましたよね。今何時ですか?いつまでにそれやるんですか?ほら、その仕事まだ終わっていないですよね。どうするんですか。それ、教えたと思うんだけどさあ」

その話をされる度に手を止めて話を聞く訳で、時間通りに終わる訳がない。その上司も、同じような教わり方を上司にされてきたのだろう。世の中の不条理さを教えたいのだろう。辛い。

もう、聞き飽きたその言葉を毎日のように聞かされている。私に辞めて欲しいと言うことなのか?それならスパッとクビを言い渡して欲しい。解雇してくれ。会社のせいにはしないから。自己都合で辞めるから。

幸か不幸か、私はまだ耐えている。部屋で一人で泣き、目がパンパンに腫れても、スプーンの裏と保冷剤を駆使し、翌日には目の腫れを引かしながら会社に通っている。泣くだけでは済まず、胃腸に不調を来した時点で辞めようとは思っている。

もしくは、電車に乗れなくなったときは精神の限界だと思う。

または、3ヶ月の使用期間が終わった時点で採用を見送られるのであれば、それはそれでしょうがないし、どうも思わない。次の就職先を早く探すだけだ。

一方、給与明細を貰ったときはやはり嬉しかった。これにどれだけの価値があるか、フリーランス時代を経なかったら知る由もなかっただろう。定期代が給与とは別に貰えるのだ。雇用保険証がこれだけありがたいものかと再認識もした。この給与と雇用保険証と言うのは、元フリーランサーにとって仕事を続けるという事に対して一つのモチベーションともなる。

請求月がずれて入金が遅れてお金がない。家賃が払えるかどうか心配でしょうがないという悩みを二度と抱えたくないのだ。もう、何をするにも大変だ。生きることって大変だ。お給料をもらい続け、最低限の生活を維持する為にはこんなにも涙を流さなくてはならないなんて。

昨日は上司が休んだ。その時は職場の雰囲気が異なった。上司が横にいるときはシーンとしていた職場だったが、その日はみんな私に声をかけてくれた。

「1人で大丈夫?」「私も色々言われちゃうけど何度も聞き直して頑張っているよ」「何でも聞いて大丈夫だからね」

その言葉で、恥ずかしながら泣きそうになった。我慢していたものが決壊していくのを感じた。ここ一ヶ月習った事は、すべて自分でマニュアル化し、検索できるようにインデックスを貼りまくった。まあ、新人の最初の仕事はそれなんだろうけど、元編集者としての力量が発揮できたように思う。そこは今の仕事とまったく関係ないのだが、紙面構成はかなりキレイだと思う。コレを次に来る新人の方にこっそりと渡したい。

自分なりに頑張って来たが、仕事が遅いと罵られ、処理が終わらない。細かすぎるルールを全て網羅しきれない。

これだけ人が辞めていく職場だが、上司の上司が彼女に絶対の信頼を置いており、その2人にもここまで来るのにストーリーがあるためにどうする事もできない。

ある下請けの方が言った。

「あなたの上司が来てから職場の雰囲気がだいぶ悪くなったし、人も辞めていったけど、上の人があの方に絶対の信頼を置いているからどうにもできないよね。関係者全員が毎日震え上がっていて、みんな報告書に嘘を書き始めるんだ。組織として崩壊しかけているよ。今は売り手市場に切り替わって来ているから無理はしない方がいい。ここは昭和の日本縦社会みたいな会社だよ」

と。薄々感づいていたし、何かおかしいと思っていたけど、私がおかしいのではなくみんな感じているんだなと思うと少し安心。少なくとも、ここで残って働いている同僚の方々や関係者は優しい。何より、お客様も優しい。その救いは大きい。

なんだ、外資だけど、結局昭和の日本の会社と同じような感じなんだ。どこで働くにも大変なんだ。ああ、少しフリーランスの生活が懐かしい。

ではまた。

私たちは残業を強制していませんよね?

早く仕事を覚えて楽になりたい。

転職して最初の数ヶ月は、地獄になる事を想定していたし、残業してでも早く仕事を覚えたいと思っていた。そこに何の裏もないし、純粋にそう思っている。

 

結局仕事が定時に終わらず、入金処理をしていたところ上司がやってきて言った。

「残業してもいいけど、あなたの意思でしていますよね?私たちは強制してないですよね?あとから残業代請求されても会社は困るんで」

私はこう答えるしかなかった。

「はい、私の意思です。仕事が遅くてすみません」

泣きたくなった。私は後から会社を敵に回して残業代を請求するする人間に見られているし、この上司はそういった類の部下に散々憎まれ、戦ってきた可哀想な人間なんだと思うと、それも悲しくなった。

 

何をやっても「これはやらないでください」「何度も言っていますよね」しか言われない。この人、友達とかいるのかな? 彼氏とうまくいってないのかな? 私生活で趣味とかあるのかな? いや、残念ながらお前の心配したくないわ。もうしんどい。

しかし、しんどいのは自分だけじゃないってのも分かった。今朝、下請けの方への引き継ぎでお互いに勘違いがあった際の、その方の対応が全てを物語った。

「あ、この書類あなたの上司も見るやつだから、書き換えできる?いやいや、上から書き直すんじゃなくて、パソコンでプリントし直さないと。あなたの上司チェックするでしょ?早く隠さないと面倒なことになるから」

そう、手書きだろうがパソコンであろうが大して関係ない書類(外部に出すものでなく、私とその人だけが内容が分かれば良い書類)でも、上司が隅々までチェックするために、下請け業者も震え上がっているのだ。結局、書類は間違いではなかったので問題はなかったけど。

先輩方も、誤魔化し方が上手い事に気がついた。ミスがあっても、それをミスにせず、うまく話を繋げている。部屋番号を間違えて引き継ぎ書類に書いていた際にも、うまーく隠蔽するのだ。先輩方は裏で必死に業者さんたちを使い、自分の仕事を増やしてまで上司に事を隠そうとしている。

重箱の隅を突くタイプの上司が築き上げた隠蔽体質の風土が、少しだけ垣間見れた気がする。

フリーランスに戻りたいのか?

フリーランスで仕事をしていたと言うと、上昇志向が強い女だと思われがちだけど、全くそんな事はない。

 

たまたまブラック企業的なところにいて、これならば業務委託で仕事を受けた方が楽だと思ったからフリーランスになった。逃げの姿勢だ。

さらに、フリーランスとして将来食っていく自信もなくなり、体力の衰えも感じ、今回の転職に至った。やはり逃げの姿勢だ。

 

さらに、英語を使えて一石二鳥じゃんと思って外資に転職した。どんだけ能天気なんだ。

 

職場は上昇志向の高い女性で溢れている。なんでみんなそんなに出世したいのか私にはまだ理解ができない。外資で働く女性は、ものすごいプライドを持っている。付き合っている男性も銀行マンだったり商社マンだったり、どうやって出会っているのか謎である。

上昇志向の高い女性は見ていてしんどくなる。なんでそんなに自分と周りを追い詰め、苦しみながら仕事をしているのか。

部下や下請け業者に対して一線を引き、私がルールだからと言わんばかりに横柄に振る舞い、周りが萎縮して何も言うことができない。

 

最初の3週間は、私も食事が喉を通らなかった。やっとここ3日くらい、そこそこ食事を摂れるようになった。果たしてこの職場に慣れることができるのかまだまだ未知だ。いつか私も上昇志向の高い人間になってしまうのかしら?いや、絶対に嫌だ。周りを疲弊させてしまう。上昇志向が芽生えても、周りには隠そうと思う。

 

こんだけ社内の上昇志向高い女性に囲まれて疲れ果てているけど、フリーランスに戻りたいのか?!と聞かれれば、まだ答えはNOだ。

 

常に顧客の支払いサイトと入金日を考え、今月は2件も請求延びたからしばらく食パンだけで過ごすかとか、彼氏にも気を使わせて安いところに外食へ行くとか、親にお金を借りる(恥ずかしながら、フリーランス時代に1度50,000円借りた)とか、休みたくても顧客に振り回されるとか、そんな想いをもうしたくない。

 

しかしどんな仕事も大変だ。もうフリーランス時代の思いはしたくないとか思ってても、どこかで次回はきちんと株式会社にして、何か新しいサービスを開発して、多少自由のきく仕事したいとか思っている自分がいる。一生隣の芝を眺めながら、私は生きていくのかもしれない。これはもう、自分のメンタルと覚悟の問題だわ。

ただ毎日平和な気持ちですごしたいだけなんだけど、それがどれだけ大変なことでありがたいことか。生きていくためのハードルって高い。

ではまた。

35歳、フリーランスを辞めて外資系企業に転職しました

 

約8年間フリーランスとして生活してきましたが、

そこに見切りをつけて、転職をしました。

女の35歳、正社員転職。それはそれは大変な道のりだったように思いましたが、

働き始めてから2週間経った今、更に大変な状況に陥っています。

仕事を覚える事がこんなに大変だったとは。

どこかにこの想いを残しておこうと想い、ブログを始めることにしました。

今日は、簡単に自己紹介を残しておこうと思います。

 

高校卒業後、漠然とデザイン系専門学校を卒業し、

店舗デザイン設計会社で馬車馬のごとく4年半程働く。

多少心身が崩壊し、内装関連の会社にコーディネーターとして転職。

転職した会社の初日に経理の人が言った言葉を、私は忘れない。

「今月は給与が2日遅れます」

2社目の会社では、初日から給与遅れを宣言された。

 

さらに問題点があった。

会社の会長からはインテリアコーディネーターとして

迎えられると言う話だったが、

当日出社したら社長から作業着と携帯電話を渡され、

アス○ストまみれの床材を現場で剥がす事を命じられた。

首と腕に刺さるアス○スト。皮膚が真っ赤になったあの絵面は忘れない。

私が気管支系の病気になったら、きっとあの日を思い出すでしょう。

どうやら、会長と社長の間には大きな認識の違いがあったようだ。

 

私はまた変なところに

来てしまったのかも知れないと思ったものの、

約1年間その会社で現場監理者として働いた。

給与の遅れが2日から1週間になったところで、

ベンチャー企業に転職する。

 

一生懸命働くのは嫌いなのに、

なぜ私はベンチャーに来てしまったのだろうか。

そう、私は夢を見ていたんだ。

その1年後くらいに、私はフリーランスとなる。

今後、その仕事の経緯やここからフリーランスになった

心境等を砕いて残していきたいと思っているけど、

とりあえず今日は略歴だけを書き残したいと思う。

 

約8年ほど、フリーランスエディター・デザイナーとして働き続けた。

しかし、昨今の印刷物減少傾向、単価が年々下がる傾向、

自分自身が果たしてこの働き方を60歳以上まで続けられるのか?などなど、

思い悩んだ末に英語を猛勉強し、外資系企業への転職に成功する。

あまり詳しく書けないが、

主に、富裕層向けのサービスを提供している。

 

どうせ社会の奴隷になるなら、金持ちの奴隷になりたいという、

これまた不純な動機であった。

 

転職に成功したのは良いが、ここからがまた地獄だ。

御歳35歳。スーパーバイザーは2つ年下の33歳。

そのスーパーバイザーが今の物件に来てからと言うもの、

その厳しさ故に昨年従業員が大半辞めてしまい、

私がその欠員を埋めるカタチで入社する事ができたのだ。

 

脳みそが衰えていて、一つひとつの事を覚えるのも大変だ。

スーパーバイザーめっちゃ怖い。

色んな国の人と会話をする必要がある為に、

自分のリスニング力のなさに幻滅する。

何よりも、スーパーバイザーに社員がおびえていて、

会社の雰囲気が悪い。そして、私もおびえている。

だけど、お客様の前では笑顔でいなくてはいけない。

メンタル弱いけど、とりあえず仕事を覚えて楽にならなくては、

私の未来はない。歳をとったときに、お金に困りたくない。

そう、私は焦っている。

 

とりあえず今回は、これにて自己紹介を終わらせて頂きます。

会社員時代の事、フリーランス時代の事、

今の仕事の事、色々書いていこうと思います。